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        中国刺繍

        刺繍は中国の民族手工芸術の一つで、物質文明の進歩に莫大な貢献をしてきた。刺繍とは綿、絹、麻、羊毛などの生地の上に色糸を刺して絵や模様を表す工芸技法である。刺繍の歴史は古く、文献の記載によると6000年以上前の虞舜の時代と考えられているが、1958年に中国の長沙で出土したおよそ2千年前の戦国時代(403-221B.C.)の刺繍品が現在中国最古のものである。
        本来衣服の刺繍は地位を表し、政治的な役割が大きかった。皇帝の衣服には龍が、また官史の衣服には階級別に麒麟、虎、鶴などが刺繍されていた。漢時代(205B.C.-A.D.33)に上流階級の女性や皇族の間で刺繍は地位と富みの象徴として好まれ、清時代までその流行は続く。
        経済が繁栄し、紡織業が発展、社会の富裕層が増え、新たな消費階級が形成された。刺繍の需要が伸び進み、それによって刺繍の技術も進歩した。その後、生活上の広い範囲で徐々に刺繍が用いられるようになったほか、宗教上の目的で使用されることもあった。仏教寺では幕や儀式に用いる布に、経典や旗、神を表す多くの刺繍が見られる。唐時代(618-845)には、それまで主流だった鎖状に刺す鎖繍のほかに、平針繍などの新しい技法が次々と発明された。刺繍の発展において唐代は“斬新時代”となる。
        宋時代に入り、中国の刺繍品はシルクロードを渡りヨーロッパに輸出され始める。また西洋や近隣の日本、韓国などから新しい刺繍技術や絵柄がもたらされ、刺繍工芸は成熟期を迎える。宋代では後世にも名を知られる芸術性の高い優れた作品が多く生まれている。この時代に刺繍がこれほどまでに発展した理由は3つある。1つは“平針繍”と呼ばれる新しい刺繍方法が現れたこと。2つ目は工具と材料が改良されたこと。3つ目は書画の芸術と結合されたことである。
        明時代は中国の手工業が特に発展した時代である。宋代の刺繍の基礎を受け継ぎ、刺繍はますます上質なものとなる。上流階級だけでなく広い範囲の人々の間で流行し、あらゆる物に刺繍が施された。その後、清代まで続く刺繍の流行により、その技術は原料、針法、図案、色彩において、更なる発展を遂げる。これまで刺繍に使用されていた絹糸以外にも、様々な素材が用いられるようになり、透繍、紙繍、平金繍などが生まれ、刺繍のカテゴリーが広がった。
        江蘇省の蘇繍、湖南省の湘繍、四川省の蜀繍および広東省の粤繍は中国四大刺繍と呼ばれ、それぞれの地方独特の強い特色をもっている。中でも蘇繍は裏表で違う絵柄が楽しめる両面刺繍で有名である。
        中国の織物は古くから高い技術をもっており、現在も多くの地方で絹織物などが生産されている。明清時代の皇帝は絹織物の衣服を着ていたというが、現在はカーテンやテーブルクロス、みやげ物など広い用途に使われている。
        蘇州刺繍
        蘇州刺繍の名でも知られる蘇繍は、四川の「蜀繍」、湖南の「湘繍」、広州の「粤繍」と並んで中国四大刺繍に数えられ、その中でも最高峰と賞される。本物と見間違えそうな描写力と裏表から鑑賞できる両面刺繍で有名であり、国内外から高く評価されている。
        蘇繍の産地は、中国南部に位置する江蘇省東南、蘇州の呉県一帯、江蘇、浙江近郊である。蘇州は桑の植栽と養蚕に適した肥沃な土地と温暖な気候に恵まれ、古くから絹織物の生産が盛んであった。地理的条件、豊富な錦、色とりどりの絹糸と、有利な条件が揃った蘇州では、刺繍工芸が飛躍的に発展した。
        蘇繍は2000年以上の歴史を持つ、中国で最も古くから発達した刺繍工芸である。前漢の文献「説苑」には春秋時代(771-403B.C.)、すでに呉国で刺繍が施された衣服が着用されていた事が記されている。また、三国時代(220-265)、呉王孫権が、趙夫人に山川の位置を記した列国地形図を刺繍させたと言われている。趙夫人は、機絶、糸絶、針絶の三大絶技を合わせ持つ女画家であった。宋時代、蘇繍の生産は最盛期を迎える。刺繍技術は成熟し、高い表現力と立体的な刺繍が見られるようになる。蘇州には、様々な分野の専門刺繍工房が現れた。
        蘇州が「刺繍の都」として有名になったのは清時代の事である。当時蘇州には六十五件の刺繍工房があり、様々な流派が生まれて、多くの名手が技と芸術性を競いあった。皇室からの絶大な支持を得て、大量の蘇州産の刺繍が朝廷に納められた。また、有名な両面刺繍が生まれたのもこの時代である。清代末期には西洋学問の流行の影響をうけて、蘇刺繍にも斬新な作風が加わった。光緒年間、著名な刺繍作家の沈雲芝が蘇州の刺繍技術によって西洋の肖像画を再現し、「倣真繍」の新しい作風が誕生した。彼女の刺繍した「イタリア皇后アリナ像」は、国家礼品としてイタリアに贈られている。
        明時代には、しばしば絵画が刺繍の図案として使われるようになった。巧みな技術で影や光、形がみごとに再現された蘇繍はまるで油絵のようで、その写実性から「針の絵画」と呼ばれ、書画芸術に匹敵するほどの芸術工芸に成長した。数え切れないほどの技術技法と様々な道具によって、動き出すかのようなリアリスティックな刺繍が可能になった。針法の数は大きく分けて九種類、斉針、套針、乱針、切針、平金、打点、打子、結子等、全部で四十三種に及ぶ。下絵は、細い線で布に転写され、木枠にシワなくおさめて刺繍を始める。膨大な色数の糸から選んでグラデーションを表現し、表現に応じて刺繍糸を細くほぐして使う。一本の糸を四分の一、八分の一、時には髪の毛より細い四十分の一の細さにして使うという。何度も同じ箇所を刺して立体感を出し、仕上げに熱を加えてより本物に近いつやを加える。縫い目の整った優美な蘇繍は「平、整、細、密、均、順、和、光」の八つの字で比喩される。
        蘇州の刺繍は繊細、上品、精巧なことで世界に知られている。両面が異なる図柄で刺繍された“金魚”と“子猫”は蘇繍の代表作である。双面異繍とも呼ばれる両面繍の技法は、何万もの結び目を巧みに隠して、裏表の両方から楽しめるのが特徴である。色柄とも裏表が一緒のもの、裏と表で柄は同じだが色が違うもの、更に裏表で色、柄、刺繍方ともに違う双面三異繍など、種類もさまざまであり、その巧みな技には息を飲むばかりである。他にも独自の技法として、直線と斜めの線、長さもまちまちなステッチを被せるように組み合わせる乱針繍や、環形繍、打点繍、打籽繍など、多くの刺繍法が現在までに誕生している。
        清代末期の戦乱と文化大革命にかけて、蘇繍は一時衰退して、多くの刺繍作品と伝統技法は消滅してしまった。しかし文革解放後、蘇州刺繍研究所が設立され、刺繍工芸家達が失われた技術の整理、回復に努めて、再び蘇集の刺繍工業は力を取り戻す事となった。1956年、中国工芸美術史上初めての「中国蘇繍芸術博覧館」が設立されている。
        2005年に開かれた愛知万博では、中国館のイベント「蘇州ウィーク」で蘇繍の実演が行われ、刺繍芸術家の鄒英姿によるシルクロードをテーマにした作品が大きな注目を集めた。また、2007年、江蘇省蘇州鎮湖郷は、全国で唯一文化部から「中国民間刺繍芸術の郷」の称号を与えられている。この小さな街の人口は約二万人、そのうち八千人の女性が刺繍業に従事し、古くから“家家有繍女、戸戸有繍繃”(家々に刺繍女あり、戸々に刺繍の木枠あり)の言葉が伝えられている。
        蘇州の刺繍工芸は、今でも最高の中国伝統工芸の一つとして国内外から絶賛されている。現的な作風を取り入れ、常に新しい針法を捜し求めて、蘇繍は発展を続けている。刺繍工房がはるか遠くまで連なる蘇州の刺繍ストリートは今も健在である。
        広東粤繍
        粤繍は、広東刺繍工芸の総称で、広州を中心とする「広繍」と潮州を代表する「潮繍」の二大流派からなる。独特な風格でその他の刺繍とは違った魅力を持ち、国内外から注目を集めている。蘇州の蘇繍、四川の蜀繍、湖南の湘繍と並んで広州の「粤繍」は、中国四大刺繍に数えられる。
        粤繍には千年以上の歴史があり、その起源は広東の少数民族である黎族の刺繍工芸といわれている。広州は、比較的に唐時代(618-907)、五代十国時代(907-960)にも戦乱の影響を受けず、刺繍工芸は農業、その他の手工業とともに、著しく発展した。
        粤繍には、実在した一人の少女の言い伝えがある。史籍にも記されているこの話は、唐代、盧媚娘という名の14歳の少女が、一尺角(約11 cm²)の絹布に、“法華経”を一巻まるごと刺繍したというものだ。その一字の大きさはトウモロコシの粒より小さく、しかし一つ一つの字画は明確に縫いあらわされていたという。少女の刺繍した法華経は多くの人を驚かせ、粤繍の精巧な技術は、世に広く知られるようになった。当時のすでに卓越した技術と、粤繍の悠久の歴史をうかがわせる一件である。
        宋時代、粤繍は中国全土で知られるようになり、東南アジア各国へ向けて広州港から輸出されるようになった。壁掛けや、掛け布団、豪華な衣装など、多くの刺繍品が海外の愛好家に愛された。明代正徳九年(1514年)、ポルトガル人の商人が広州で龍の刺繍入りのガウンを手に入れて帰国し、国王に献上して大いに喜ばれた。また、1556年にポルトガル人のクローズが、刺繍の施された靴等の粤繍工芸品を見て、「絶品」と驚嘆した。
        明時代から清時代まで、粤繍は最盛期を迎える。イギリスの商人から注文が入るようになり、色調豊かで遠近感のある、西洋画の影響をうけた作品が生まれた。清代中頃には、粤劇、粤曲などが流行し、粤繍は芝居用の衣装としても人気を集めるようになった。広州の芝居小屋をはじめ、宮廷の劇団からも注文が殺到した。乾隆年間、粤繍はすでに独自の市場を確立し、刺繍工房は五十件以上、職人の数は三千人にのぼった。1915年、粤繍作品の「睡獅」、「孔雀図」、「四角大花頭披巾」はパナマ万国博覧会賞を受賞している。
        粤繍の二大流派である「広繍」と「潮繍」では、針法と材料が異なり、それぞれ独特の魅力をもっている。
        広繍の針法は、大きく分けて七種全部で三十分類におよぶ。人物と花や鳥の刺繍が多く、中でも人物画は広繍の主要な産品の一つである。広繍の特徴としては、糸の多様さがある。絹糸の他に、孔雀の羽を紡いだ糸、馬の尾の毛などが使われた。明代の刺繍に多く見られ、動物の毛を使用することで、色と質感の対比を強調し、リアリスティックで鋭敏な効果を加えた華麗な作品となる。また、金銀の糸で輪郭を際立たせる技法も多用された。刺繍職人の多くは男性で、布団、枕袋、シーツ、衣服、靴や帽子、掛け軸など品種は豊富である。
        潮繍は現在の粤繍の主要な流派であり、六十以上の針法がある。多くの金銀糸を使用し、何度も糸を重ねて立体的で重厚な面持ちである。題材は人物、龍、鳳凰、動物、草花などであり、バランスの取れた構図、にぎやかで明るい色彩で、いきいきと表現している。また、刺繍面の下に綿を入れて高さを出した立体的な刺繍も潮繍の特徴である。金銀の絹糸で綿の上に被せた刺繍は、浮き彫りのような効果がある。これは中国四大刺繍の中でも、特異な技法であり、他の刺繍工芸にはほとんど見られない。主要な産品は、屏風、掛け軸、寝具、芝居の衣装や小物入れなどである。
        粤繍の制作工程は複雑であり、各過程で異なった技術を必要とする。全ての技術を習得するには、10年以上かかると言われ、粤繍を学ぼうとする若い世代は少ない。多くの職人がこの世を去り、いくつかの伝統技法はすでに失われてしまった。現在、唯一の粤繍大師である陳少芳女史はもうすぐ七十歳になる。経済成長のもとで、コンピューター刺繍が蔓延し、伝統手工芸による刺繍工芸の継続は困難な状況に陥っている。千年の月日をかけて成長した粤繍を守る為に、伝統の技術を伝承する人材の早急な確保が課題となっている。
        湖南湘繍
        湘繍は、湖南省の長沙県を中心に、望城県、開福区など数十ヶ所の近郊地域で生産される刺繍工芸である。独自の技術を基礎として蘇繍や粤繍の影響をうけて、独特な風格を持つ精巧な工芸技術に発達した。湘繍は、蘇州の「蘇繍」、四川の「蜀繍」、広州の「粤繍」と並んで中国四大刺繍に数えられる。
        湖南の歴史は少なくとも戦国時代に始まった。龍鳳の柄が刺繍された戦国時代の絹布が1958年に長沙楚墓で発見されている。飛躍感にあふれた龍と鳳凰が、整然とした縫い目で精巧に刺繍されたこの作品は、人々を驚嘆させた。また1972年、長沙馬王堆の前漢時代の墓では、41件の衣服や棺内装飾用の刺繍品が見つかっている。図案は10種類余り、よりのかかっていない18色の糸が使われている。異なる針法を使い分け見事に刺繍された出土品から、当時の職人の技術の高さと、湖南地方の刺繍工芸が高い水準に達していたことが確認されている。
        清時代、湘繍は湖南を代表する手工業に発展し、農村の女性は自身の家庭内を飾る為の刺繍から、収入を得る為の手段としての刺繍品を作るようになった。当時長沙一帯のほとんどの家庭で、副業として刺繍工芸品を生産していたという。
        湘繍は、伝統的な絵画、書道、その他の工芸美術の技術と融合して独自の風格を形成している。二百色以上の生糸、絹糸と百以上の針法によって中国絵画を原画とした刺繍作品が完成する。主な材料は、生糸、綿糸、柔らかいサテン、硬いサテン、オーガンジー、ナイロンなどである。特に湘繍に欠かせないのは生糸であり、刺繍用の絹糸ではなく生糸で絹織物の上に図案を刺繍する。糸は手で二分の一から十六分の一まで細かく裂いて使う。不ぞろいな太さの糸は、刺繍面に自然な明暗を演出する。湘繍の特徴は、色鮮やかでリアリスティック、質感が強調されていて、“遠くから見て気迫溢れ、近くから見て絶妙な針使い”である。
        豊かな色使いも、湘繍の優れた点である。「雪宦繍譜」には、青、黄、赤、黒、白の原色と、緑、赤褐色、紫、黄緑などの中間色を含め88種の色があり、更に濃さの違いで745色の異なる色を使用したと記載されている。湘繍の職人は、700以上の色も、自然界の光や影を表すには充分でないと考えている。湘繍の刺繍糸には“ない色はない”といわれる所以である。
        職人は筆の代わりに針を、紙の代わりに布を、絵の具の代わりに絹糸をつかって巧みに、刺繍の絵画を描きだす。深い色から浅い色へ、暗い色から明るい色へと見事なグラデーションが非常に美しい。色のつなぎ目や針跡が目立たないように細心の注意をはらい、色の交わる針目は長すぎても短すぎてもいけない。グラデーションの美しさは湘繍と他刺繍品の基本的な違いであり、湘繍の特色である。
        20世紀後半には、両面刺繍の技術も発達した。巧妙な針使いで裏表とも柄、色、技法が異なる二種の題材を表現するものである。「獅虎」は、天に雄たけびをあげる虎と、夜中の獅子を描いたものだ。1匹は山上へ1匹は山下へ、正面の虎は裏側で獅子にと、図案の完全に異なる刺繍画は、驚嘆するのみである。湘繍両面全異繍の芸術性は高く、湖南の刺繍工芸の中でも重要な一流派を築いている。湘繍「獅虎」は、中国工芸美術館に所蔵され、国家級珍品(国宝)とされている。
        題材は、人物、動物、草花、山水など様々で、品種も数多い。衣料品、ハンカチ、寝具など、実用的日用品でありながら、美しく優雅な風格を楽しむことが出来る。
        近年、市場経済の急速な発展と西洋文化の影響により、農村の労働力は大量に流出してしまっている。民間に根付いたはずの湘繍の伝承者は少なく、一部の優れた技術はすでに失われてしまった。長沙市人民政府は、湘繍伝統工芸の保護、発展を目的とした対策に乗り出している。人々の手によって千年以上にわたり発展し続けた湘繍が確実に保護され、伝承されていくことが期待されている。
        四川の蜀繍
        古代、川西平原では養蚕が盛んであり、そのことからこの地方には蜀国という名がついた。「蜀」とは、元々蚕のことを示す漢字である。四川の蜀繍は、川繍の名でも知られ、蘇州の「蘇繍」、湖南の「湘繍」、広州の「粤繍」と並んで中国四大刺繍に数えられる。蜀繍は蜀錦と共に「四川の宝」といわれ、今でも多くの人から愛されている貴重な中国伝統工芸の一つである。蜀繍の主な産地は成都、重慶、温江、郫県などである。
        蜀繍は数多くの優れた中国伝統刺繍の中でも、最も古く有名である。その起源は古代の周代(1100-771B.C.)に始まり、時代と共に技術、技法は進化を繰り返した。蘇州で発達した桑の栽植、養蚕の優れた技術はすぐに成都や近郊地域に伝わった。春秋時代(770-476B.C.)には、蜀繍はすでに東南アジアに向けて輸出され始めた。
        漢代(205B.C.-A.D220)、成都には数件の刺繍局が置かれ、周囲の工房の多くが成都に集まるようになった。蜀繍の生産と配給、朝廷直属の刺繍局が管理し、皇族が着用する衣服の他、掛け布団やシーツ、枕や香り袋などの日用品も作られるようになった。五代十国時代(907-960)、経済が安定して豪華で装飾性の強い工芸品が好まれるようになった為、蜀繍の需要は更に高まることになった。
        シルクロードを経て、蜀繍がアジア以外の国々へ定期的に輸出されるようになったのは、随唐の頃になってからである。多くの価値ある古代蜀繍がヨーロッパや中東近辺で発見されている。中国国内だけでなく海外からも知られるようになった蜀繍は、更に盛んに生産されるようになった。
        宋時代(960-1279)、蜀繍は人気、生産量ともに中国一となり、最盛期を迎える。清代の光緒二十九年(1903)、成都に四川省総局は刺繍科を設立して、著名な作品の図案を収集し、刺繍技法の研究を始めた。伝統の技法と図案は、西洋の影響を受けて、さらに美しく魅力的なものとなった。
        清の道光帝の頃、四川の官史が蘇州から三人の熟練の職人を招き、進んだ刺繍技法を四川の職人に教えた。この三人の老師はすべて男性であった。通常、刺繍工芸の多くは女性の手によるものだが、蜀繍の職人の多くは男性である。それは当時、未婚の女性は家からでて俗世に触れることができず、刺繍業に係わる事が出来なかったためである。
        1925年頃には、刺繍職人は千人を超え、六十余りの工房が存在した。しかし、抗日戦争と文化大革命のもと、多くの伝統工芸と同じく蜀繍は大きな衰退を余儀なくされる。中華人民共和国の成立後、中国政府の援助によって蜀繍の回復と普及が行われている。
        蜀繍の主要なベースの生地となるのは、柔らかなサテンと色とりどりの絹である。模様や図案は直接布に下書きされる。生地はピンとはるように木枠にはめ、鮮やかな絹糸で丁寧に一針一針刺繍される。
        蜀繍は細かく正確なことで有名である。光、色、形を重視して多くのステッチで繊細に表現された草花や、動物、人物像は、生き生きとしてリアリスティックである。刺繍の技術によって巧みに描かれるのは、花鳥魚虫、山水、人物など様々であるが、中でも立身出世、繁栄を表す鯉は特に蜀繍で好まれる図案である。最近は、パンダの刺繍画も人気があるという。現在、実用品として使われている蜀繍には、枕カバーやスリッパ、カーテン、掛け布団、衣料品などがある。
        四川に伝わる伝統工芸である蜀繍は、国内外の多くの人々から愛されている。しかしコンピューター刺繍による商品が溢れ、長い時間をかけて自身の手で刺繍する職人の数は減っている。現在多くの刺繍職人は高齢になり、根気よく地道な作業の蜀繍を学ぼうとする若い世代は皆無に等しい。この貴重な伝統工芸を消滅の危機から守る為の、問題の早期解決が必要とされている。
        ほかの刺繍
        上海松江顧繍、寧波の刺繍、宮繍の名でも知られる北京を中心に生産された刺繍工芸である京繍、河南省の開封の汴繍、湖北漢繍、浙江温州の甌繍、海南黎族の黎錦繍などがある。



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